退職届を提出した後に退職が無効だったと争うことができるのか?
1 真意ではない退職の意思表示を争う場合
労働者が退職することを会社に伝えたのですが,
この退職の意思表示には問題があったとして,
退職の効力が争われることがあります。
例えば,労働者には退職する意思がなかったにもかかわらず,
退職届を提出して,会社が退職届を受理しまった場合に,
労働者が,後から退職の意思表示は無効だったと争う場合です。
それでは,本当は退職する意思がないのに,
労働者が退職すると意思表示した場合,労働者はどのようにして,
退職をなかったことにできるのでしょうか。
2 心裡留保とは?
民法93条に,心裡留保という規定があります。
意思表示をした人が,表示した行為に対応する真意がないことを
知りながらする単独の意思表示のことをいいます。
わかりやすく説明すると,相手方がお金を持っていなさそうなので,
買えないだろうと思って,売る気もないのに,
10万円なら売ってもいいよ,と言ったところ,
相手方が10万円なら買いますと言った場合に,
売買契約が成立するのかという問題です。
ようするに,売主は,売るという真意がないのに,
売ると意思表示をしているのです。
この場合,売主には売る意思がないので,
売買契約が無効になりそうですが,
売主の売りますという意思表示を信頼して
10万円を集めた買主を保護すべきです。
そのため,このような心裡留保の場合,
原則として,意思表示は有効になります。
しかし,上記の売買契約のケースで,買主が,
売主は買主のことをからかうつもりで,
本当は売るつもりがないことを知っていた場合はどうでしょうか。
売主が売るつもりがないことを知っている
買主を保護する必要はなくなります。
そこで,心裡留保の相手方が,意思表示をした人に
真意がないことを知っていたり,知ることができていた場合には,
例外的に,意思表示が無効になるのです。
3 心裡留保で退職の意思表示が無効になった裁判例
ここで,退職の意思表示が心裡留保として無効になった,
昭和女子大学事件の東京地裁平成4年2月6日決定を紹介します
(労働判例610号72頁)。
この事件では,大学教授が問題をおこしたため,
学長から教授の地位を剥奪すると言われ,
本気で謝罪している姿勢を見せるために
反省の色が最も強くでる文書を提出したほうがよいと考えて,
退職届を大学に提出しました。
この教授は,実際には退職する意思はなく,
引き続き教授として勤務する意思を有しており,
学部長から,本当にこのまま退職するのかと聞かれたときには,
「汚名を挽回するために勤務の機会を与えてほしい」と述べました。
しかし,大学は,退職扱いとしたので,この教授は,
教授としての地位にあることの確認を求めて,提訴しました。
裁判所は,本件の退職届は,勤務継続の意思があるならば
それなりの文書を用意せよとの学長の指示に従い提出されたものであり,
この教授は,学部長に対して,勤務継続の意思を表明しているので,
大学は,この教授には退職の意思がないのに
反省の意思を強調するために退職届を提出したと
知っていたと推認できると判断しました。
そのため,大学教授の退職の意思表示は心裡留保で無効であるとして,
大学教授の地位確認の請求が認められました。
このように,退職届を提出したものの,
真意では退職する意思がなかった場合には,
心裡留保を理由に退職は無効であると主張できます。
もっとも,心裡留保で退職を無効にするためには,
会社も,労働者が真意では退職する意思がないことを知っていたか,
または,知ることができたことを,
労働者が立証しなければなりませんので,
この立証が大変になります。
そのため,真意では退職する意思がないのであれば,
退職届を提出しないようにしなければなりません。
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