一度してしまった退職合意を後から争う方法
1 加賀温泉郷のホテルにおける合意退職の事件
今年の6月に加賀温泉郷のホテル北陸古賀乃井とホテル大のやにおいて、
従業員全員に解雇通告がされたニュースがありました。
https://www.chunichi.co.jp/article/68748
この事件について、現在、労働組合と会社とが
団体交渉をしているようで、記者から、
法律的なコメントを求められましたので、私なりに調べてみました。
https://www.rouhyo.org/news/1720/
すると、この事件では、会社は、労働者に対して、
退職合意書に署名を求めて、
多くの労働者が退職合意書に署名してしまったようです。
すなわち、本質的には、解雇なのですが、
労働者が退職合意書に署名しているので、
労働者が自己都合退職した形になっているのです。
解雇であれば、法律で厳しい規制がされているので、
労働者が解雇を争えば、解雇が無効となって、
未払賃金を請求できる可能性があります。
他方、労働者が自己都合退職の形をとってしまうと、
後から争うことが困難になります。
本日は、労働者が真意とは異なる自己都合退職をしてしまった場合の
対処法を説明します。
2 意思表示についての民法の規定(錯誤・詐欺・強迫)
労働者が、一度、自己都合退職の意思表示をしてしまったものの、
その意思表示が間違いがあったとして、
取り消すことができる場合について、
民法に規定があります。
例えば、自己都合退職をしなければ、
退職金が支払われない懲戒解雇になると通告されて、
懲戒解雇だけは回避したいと考えて、
自己都合退職の意思表示をした場合、
労働者は、誤信に基づいて、
自己都合退職の意思表示をしているので、
民法95条の錯誤を理由に、
自己都合退職の意思表示を取り消すことができます。
この他にも、会社から騙されて、
自己都合退職の意思表示をした場合には、
詐欺による意思表示として取り消せますし、
会社から脅されて、自己都合退職の意思表示をした場合には、
強迫による意思表示として取り消せます(民法96条)。
3 自由な意思論
従来は、自己都合退職が錯誤、詐欺、強迫に
該当するかだけが検討されていましたが、最近では、
自己都合退職の意思表示が自由な意思に基づくものではない場合に、
効力が生じないという主張が効果的です。
山梨県民信用組合事件の最高裁平成28年2月19日判決において、
労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、
労働者により当該行為がされるに至った経緯及び態様、
当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、
当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる
合理的な理由が客観的に存在するか否か、という判断基準が示されました。
この判断基準が、合意退職の場合にもあてはまるとしたのが、
TRUST事件の東京地裁立川支部平成29年1月31日判決
(労働判例1156号11頁)です。
この事件では、退職は、一般的に、
労働者に不利な影響をもたらすので、
退職の合意があったか否かについては、
特に労働者につき自由な意思でこれを合意したものと認めるに足りる
合理的な理由が客観的に存在するか慎重に判断する必要があるとして、
退職合意の存在が否定されました。
そこで、加賀温泉郷のホテルの事件にあてはめると、
労働者は、退職同意書に署名したものの、
退職することによって仕事を失うという大きな不利益を被ることになり、
会社からの説明は5分ほどしかなかったようで、
十分な情報提供や説明はなかったといえるので、
労働者の同意が自由な意思に基づいてなされたとはいえないと
判断される可能性があると考えます。
この事件では、会社側とのやりとりが録音されていたり、
多くの労働者が、会社側の説明が不十分であると証言しているので、
会社側とのやりとりを証明できる可能性があります。
もっとも、会社側がどのような言動をもって
労働者に退職の意思表示をさせたかについては、
労働者が証明しなければならず、個室で、
労働者と社長が一対一でやりとりをしていて、
録音がない場合には、言った言わないの水掛け論になって、
証明することが困難になります。
自己都合退職の場合は、解雇の場合と比べて、
証明のハードルが高いので、争いにくいのです。
自己都合退職を争う場合には、
会社側とのやりとりを録音するのが重要になります。
また、安易に、退職合意書に署名しないようにしてください。
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