飯森和彦弁護士のコラム「なんでも屋と労働事件」

1 私は1986年4月に弁護士登録をした。念願だった梨木作次郎先生のおられる金沢合同法律事務所に入所した。弱い人々の力になりたいと思っていた。が、梨木先生は「弱い人という者はいない」と言われた。団結することによって困難な状況にある人々も情勢を変える力を持てる、という意味だと理解した。

2 事務所の傾向から、新人の私も入所直後から様々な事件にかかわるようになった。山中温泉殺人冤罪事件(死刑判決を最高裁が破棄、その後、差戻審で無罪)では、当事務所の先輩弁護士(菅野昭夫、鳥毛美範両弁護士)らを中心として、東京などからも著名な先生方が参加する大弁護団が組織されていた。私も何も分からないまま参加し、最後は「共犯者の引き込み供述」を弾劾するための夜間検証を担当した。また、金沢はある裁判官が「石川県の人は民度が高い」と言われたように、様々な社会的な事件が訴訟として争われていて、いくつも弁護団が組織されていた。小松基地爆音差止請求訴訟もその一つで、私も飛行差止班に参加した。自衛隊機・米軍機の離着陸は憲法9条に反するとして夜間等の飛行の差止めと損害賠償を求めるもので、この種では全国で初めての訴訟であった。

そして労働事件としては、入所間もなく国労差別事件にかかわった。国鉄分割民営化の中で国労(国鉄労働組合)排除を目的とする「人材活用センター」を始めとした組合差別が大がかりになされていた。石川県の組合員も、全国同様、仮処分命令申立や地労委申立をし、私も代理人の一人として活動した。そこでは菅野昭夫弁護士や他の労働弁護士らの参加する会議を通じて労働事件を学んだ。それとともに、国労組合員らの労働者としての能力の高さ、労基法を使用者側に厳守させようと筋を通すたくましさ、誠実な姿勢、それでいて対立する会社の上司と一定の人間関係を作れる人柄などを見て、労働者に対する親近感と信頼感を持つようになった。この経験は私が労働事件を好きになる大きな動機となった。

3 ではその後は労働事件専門弁護士になったのか。いや、そうではない。地方では様々な事件が事務所にやってくる。それに対応しなければならない。

労働事件として、個別解雇事件、過労労災事件などのほか、トンネルじん肺石川富山訴訟を1997年から弁護団事務局長として担当してきた。7名の高校教員の解雇事件で、全員復帰をさせることもできた(弁護団編成事件)。 現在とても多い時間外労働手当請求事件では、菅野和夫先生の『労働法』でも紹介されるような判例を取ることもできた。本来は使用者が労働者の労働時間を管理すべきところ、それを怠っている例ではその不利益を労働者に課すのは不相当として、労働者が手帳に付けた記録にもとづき時間外労働を認定した例である(金沢地裁平成26年9月30日判決。労判1107号)。

刑事事件では、ひき逃げ死亡事故冤罪事件での無罪判決(弁護団主任担当)、犯罪者の更生支援、憲法関係では、自治体による市民の表現の自由への侵害を正す裁判もやってきた(弁護団編成、勝利和解)。

4 こうして私は今後とも、刑事事件、憲法関係訴訟そして労働事件をずっとやっていきたいと考えている。

菅野弁護士50周年記念

当事務所の所長である菅野昭夫弁護士が今年で弁護士登録をして50周年になることから,50周年を記念する祝賀会を開催しました。

 

菅野弁護士は,1968年に弁護士となり,以来,当事務所で様々な民事事件,労働事件,行政事件,刑事事件に取り組んできました。数ある事件の中で最も印象に残っているのが北陸スモン訴訟です。

 

北陸スモン訴訟は,1973年5月に金沢地裁に提訴され,原告数は総勢195人にのぼりました。菅野弁護士は,弁護士5年目にして,北陸スモン弁護団の事務局長をつとめました。全国的な活動の中で,闘いの課題は,被害者の救済,及び,薬害被害者救済制度と薬事法の抜本的改正にあり,連続した勝利判決により被告の国と製薬会社の法的責任を明らかにさせて,全国的超党派的な世論と運動を巻き起こして,それらの課題を実現させていくという全国的戦略が樹立されました。

 

この戦略の中で,1978年3月1日金沢地方裁判所で原告の勝利判決がくだされました。この判決の日には,全国から200人近い記者が金沢地方裁判所前に集まり,実況用のテント村ができ,裁判所の構内で大集会が開かれたようです。

 

その後,他の地方裁判所での勝利判決と,当時の厚生省及び製薬会社との交渉,国会要請などを通じて,スモン訴訟は,1979年に中央での厚生大臣と製薬会社社長との全面解決確認書の調印,国会での新薬事法及び薬害被害者救済制度法の成立がなされ,その年から数年にわたり,各地方裁判所での和解成立を通して,全面解決の運びとなりました。

 

また,菅野弁護士は,スモン訴訟において,医学,薬学の英語の文献を読み,外国人証人の尋問をすることになりました。そのような中,一念発起して,英語の勉強をし直し,アメリカのナショナル・ロイヤーズ・ギルドという進歩的な弁護士集団と交流し,アーサー・キノイ弁護士の著書「試練に立つ権利~ある民衆の弁護士の物語~」を翻訳して出版しました。

 

激動の時代に,民衆の権利擁護に尽力してきた菅野弁護士の功績に思いを馳せ,金沢合同法律事務所の弁護士達は,菅野弁護士の魂を受け継ぎ,今後とも,クライアントの権利擁護につとめてまいります。

運送会社の従業員がパワハラを受けた事件で解決金190万円を勝ち取ったケース

1 事案の概要

クライアントは,40代前半の男性で,運送会社に勤務していました。クライアントは,問題なく勤務していたのですが,営業所長が交代となり,新しく赴任してきた営業所長から,「アホ」,「バカ」,「ハゲ」,「あたまおかしいんちゃうか」,「わしが金沢にいる限り昇進はないと思っとけ。評価も低いからな」,「給料どろぼう」,「みんな,お前いらん言うてるぞ」等の人格を否定するような暴言をあびせられる等のパワハラを受けました。

クライアントは,営業所長からの執拗なパワハラを受け,体調を崩し,精神科へ通院したところ,適応障害と診断され,主治医から会社を休むようにアドバイスを受けて,休職するようになりました。

 

2 職場復帰

その後,当職のもとへ,パワハラの相談に来られました。クライアントは,相手方会社本部の担当者と面談したところ,パワハラの事実を認めて謝罪してくれたので,職場に復帰すべきかについて悩んでいました。私は,クライアントと共に精神科の主治医と面談し,意見を求めたところ,主治医は,職場へ復帰することに反対していました。私も,パワハラをし続けた営業所長がいる職場へ復帰するのはやめた方がよいとアドバイスしました。

しかし,クライアントは,新しい就職先を探すのは困難であり,家族を養っていかなければならないこと,本部の担当者から,職場を戻りやすい環境にすると言われたことから,職場に復帰しました。

 

3 示談交渉

クライアントは,元の職場でやり直せると期待して,職場復帰したのですが,クライアントにパワハラをしていた営業所長から,クライアントのデスクを営業所長の前に移動するように命じました。クライアントは,パワハラをしてきた営業所長の目の前で仕事をしなければならなくなり,精神的に絶えられず,しばらくして再び休職することになりました。クライアントの職場復帰への期待は無残にも裏切られてしまったのです。

パワハラに苦しんで休職していた社員を,パワハラをしてきた張本人の目の前で仕事をさせるようにした,相手方会社の対応は極めて悪質であることから,当職がクライアントの代理人となり,相手方会社に対して,パワハラ防止義務違反,職場復帰支援義務違反を主張して損害賠償請求をしました。

 

4 示談成立

クライアントは,営業所長から暴言をあびせられた際,ボイスレコーダーで録音していたので,パワハラの事実を立証することが可能であり,相手方会社もパワハラの事実は認めていたので,争点は,損害賠償の金額となりました。特に,慰謝料の金額が問題となりました。パワハラの損害賠償請求訴訟で認められる慰謝料はそこまで高額でないことから,相手方会社は,慰謝料の金額について難色を示しました。当職は,営業所長のパワハラが執拗であったこと,クライアントが復職後に営業所長の前にデスクを移動させたことが悪質であること等が慰謝料増額事由であるとして,相手方会社と交渉しました。

その結果,治療費,休業損害,慰謝料,退職金を含めた解決金として,相手方会社が190万円をクライアントに支払うことで示談が成立しました。さらに,自己都合退職の場合,失業給付を受給できるようになるまでに3ヶ月の待機期間が生じてクライアントに不利益であることから,離職票の離職理由を「5(1)②就業環境に係る重大な問題(故意の除斥,嫌がらせ等)があったと労働者が判断したため」とし,離職票の「具体的事情記載欄(事業主用)」に相手方会社が,「職場の上司からパワハラを受け,就業環境が著しく悪化し,退職せざるを得なくなったため。」と記載することで合意しました。これで,失業給付を受給するにあたって,クライアントが不利益を受けることを避けることができました。

パワハラ事件では,録音等の証拠が揃っているか,慰謝料の増額事由があるか等を丹念に検討する必要があります。パワハラで体調を崩し,会社を退職することになったとしても,弁護士に相談することで,会社に損害賠償請求をして一矢報いることができるかもしれませんので,まずはお気楽にご相談ください。

お盆休みのお知らせ

平成29年8月15日は,お盆休みとさせていただきます。

トラック運転手の未払残業代請求

1 事案の概要

クライアントらは,40代と50代の2人の長距離トラック運転手です。クライアントらは,夜中に関東や関西方面へトラックで荷物を運送し,翌日の朝に目的地へ到着し,荷物を降ろした後,長時間休憩し,夕方に関東や関西で荷物を集荷し,夜間に北陸方面へトラックを運転し,翌日の朝,北陸へ到着し,荷物を降ろしてから会社へ戻り,トラックの洗車,燃料補給,日報の作成をして帰宅するという労働をしていました。深夜に長時間労働をしているにもかかわらず,「運行手当」という名目で残業代が支払われているからという理由で,残業代は全く支払われていませんでした。

そこで,証拠保全手続で証拠を確保してから,約500万円と約450万円の未払残業代請求の訴訟を提起しました。

 

2 証拠保全

長距離トラックには,デジタルタコグラフが搭載されていることが多く,デジタルタコグラフには,トラックの走行時間とトラックの停車時間が記録されています。デジタルタコグラフのデータを入手すれば,トラック運転手が日々の労働で何時間働いたのかを客観的に証明することができます。

もっとも,貨物自動車運送事業輸送安全規則第8条において,デジタルタコグラフの保存期間は1年であるため,急いでデジタルタコグラフを入手する必要がありました。

そこで,デジタルタコグラフのデータが削除される前に,デジタルタコグラフのデータを入手するために証拠保全の申立を行いました。証拠保全とは,弁護士が裁判官と共に証拠が存在する現場へ赴き,証拠を確保するという手続です。

本件でも証拠保全を実施し,消滅時効にかかっていない2年分のデジタルタコグラフのデータを入手することに成功しました。デジタルタコグラフのデータから労働時間を客観的に証明できるので,会社は,その時間は働いていないやもっと休憩していたはずだ等と反論することはできなくなります。

 

3 未払残業代請求訴訟提起

訴訟において,会社は,①運行手当を残業代として支払っているので,残業代の未払はないこと,②1カ月単位の変形労働時間制を採用しているので,未払残業代は少なくなることを主張しました。

①運行手当を支払っているので未払残業代が存在しないという主張は,いわゆる固定残業代と呼ばれるものです。固定残業代とは,会社が労働基準法の計算によらずに,残業代を一定金額に固定して支払うものです。この固定残業代が認められるためには,労働者に対して時間外労働の時間数と残業代の額が明示されなければならないのですが,この会社では,トラック運転手がどれだけ残業したのか,残業時間に対して残業代がいくらになるのかとったことが何ら明示されていませんでした。

②1カ月単位の変形労働時間制が認められるためには,法定労働時間を超えて労働させる週及び日を特定する必要があるのですが,この会社では,その特定がなされていませんでした。

このように,会社の固定残業代と1カ月単位の変形労働時間制の主張は認められず,最終的に会社は,クライアントらに対して,390万円と435万円の残業代を支払うことで和解が成立しました。

 

4 小括

トラック運転手は深夜に長時間労働をしているにもかかわらず,残業代が支払われていないケースもあります。デジタルタコグラフのデータ等の証拠を確保できれば,会社に対して,未払残業代を請求することができます。未払残業代でお困りの場合は,ぜひお気軽にご相談ください。

ホームページ リニュ—アルのお知らせ

ホームページをリニューアルしましたので、お知らせ致します。引き続き、いっそう充実した内容となるよう継続して更新して参りますので、今後とも金沢合同法律事務所をよろしくお願いいたします。